スポーツと体育会系ハビトゥスおよび男性間の象徴闘争

片岡 栄美(駒澤大学)

 スポーツによる訓練は根性、努力、勝利への意思、強靱な身体と精神、自立性という「男性的」特性をもたらすと信じられ、教育の重要な分野となって、経済・労働市場から評価される人材を輩出してきたことも事実である。根拠の弱いきびしい規律や理不尽な慣習によって生徒・学生を縛り付けてきたスポーツ界も、民主的で科学的な指導へと変化してきたとも言われるが、この問題を根底で支えている社会全体での男性支配や象徴的暴力の日本的特徴についてブルデュー理論とデータを用いて検討する。スポーツを礼賛する人々やそれを体育会系ハビトゥスとして内面化した者は、スポーツ至上主義を掲げ、スポーツ弱者やスポーツ嫌いの男性、そして女性性を劣位に見る傾向が繰り返し現代でも確認されている。多くの女性はスポーツ男子の生き方を自分達とは関係のない社会ゲームとして無視するか、逆に暗黙のうちに支持・サポートし、男性を競争主義とスポーツ能力至上主義、そして出世競争の罠に送り込む。この社会ゲームに参加した若者は、自己犠牲的に自らを訓練に捧げることを要求する指導者や組織の下では、理不尽さに耐えながらも男らしさのアイデンティティ獲得と身体能力の増強(さらには用意された未来の社会的成功)をめざして邁進するが、このゲームから降りることは男性としての不名誉と恥辱につながるので、理不尽な経験も自ら美徳や美談にかえてしまう。快楽主義の拡大、省エネの生き方が広がる中、子どもの成長のためにスポーツを礼賛する親たちも共犯者となっている。他方でスポーツから排除された経験をもつ男性によるオタクの逆襲という男性間での象徴闘争も重要である。日本の体育会系ハビトゥスと他のハビトゥスをもつ者達との関係性を中心にデータに基づいて論じ、さらにはスポーツ選手の疑似的自立性問題についても検討したい。